✧自己紹介してみる【しっかり編】✧

自己紹介

はじめまして!

当ブログに来てくれてありがとうございます!

多摩市のハローキティの街、多摩センターで「はり灸治療院クオーレ」を経営しておりますとしひろ院長といいます。

この記事は自己紹介をかなりしっかり書いているので長めです。

このブログ書いているやつはいったいどんなやつなんだ?と、ちょっと興味を持ってくれたら是非読んでほしいなと思います。

1980年生まれの39歳。今年40ですね。もうおじさんです。

ゲーム、アニメ、映画が好きなオタク気質な鍼灸師です。

そんでもって男の子2人の父です。

男の子は、というか子供は遊びに100%のパワーを出すから一緒に遊ぶだけでも仕事より体力使う気がします(笑)

でも子供の笑顔はストレスふきとばすパワーあるから精神的には充実しますよね。

笑顔が見られるから疲れていてもまたがんばろうと思えます。

さてこのブログはタイトルにあるようにみなさんがポジティブになれるような記事を配信していきたいと考えています。

  1. 悩んでいてもしょうがない!前に進もう!と思えるような記事
  2. 気持ちを前向きにするための健康法紹介記事
  3. 育児や趣味のことなどの雑談記事

この3つがメインとなります。

ただの雑記ブログになるかもしれませんが明るくなるようなブログでありたいですね。

愚痴だらけのネガティブなブログは読んでて疲れますからね。

ではしっかり自己紹介をさせてもらいます。

☓いじめられた少年時代。それでも僕は覚えている☓

いじめられていたといっても今のようにネットもないですし陰湿かつ酷いものではありませんでした。

小学生時代はおでこが広いという理由だけでハゲ呼ばわり。

休み時間のたびにハゲと言われるのは子供にはなかなかきついものがありました。

まあ大人になるとハゲと呼ばれようがうんこと呼ばれようが…

やっぱりきついな…。

5年生のとき、あまりにもハゲ呼ばわりが酷いので親に相談。

手紙を書いてもらい担任に渡すも、その日のホームルーム。

はい、あんた前に来て。言いたいことあるんでしょ?自分でいいなさい。」

えーー!?

むしろこれが一番のいじめ。

インパクトありすぎて30年近く立っているのに未だに覚えてるわ!!

中学生のころもなぜか急にいじめられたなぁ。

クラスメートの自転車を壊したとかわけのわからない因縁をつけられたこともあったし卒業式数日前に別のやつに呼び止められていきなり顔面殴られ蹴られ、鼻曲がったし。

いじめっていじめという行為が目的でいじめられる人がなにかしたとか原因があるとかではないということがよくわかりますね。

標的にされストレスの捌け口にされた僕、運悪し。

しかしそんないじめに泣きながら耐え、なんとか中学を卒業。

高校、大学は友達など…愛などいらぬ!の聖帝サウザー状態。

ぼっち道、アニメゲーム大好きオタク道まっしぐらだったわけです。

○将来を模索する大学生時代○

大学はぎりぎりひっかかった駒沢大学経済学部。

テニスサークル入るもいじめられっ子が大学生のノリに合うわけもなく1年も持たずに辞め。

バイトをそれなりにがんばりながら大学生活を一人で謳歌?

行きたかったイタリアへ行ったり、北海道に行ってみたり。

あ、どちらも一人です。

彼女とか友達とか

え?なにそれ美味しいの?

ってレベルで皆無でしたからね!( ・´ー・`)どや

とかなんとかいいながらその後に彼女ができたりして、大学以外の時間はそれなりに充実、しかし相変わらず大学生活はあまり楽しくない。

楽しくてもそうでなくても時間は平等に過ぎていきます。

就活の時間です。

学生時代に仲間がいたこともなく、今で言う陰キャでオタク、脳内中学生でストップしている僕にとっては就職はどうしても避けたいものでした。

就職?会社勤め?

もうホント無理!

こんなふうに仕事できるとかとても思えない!!

むしろ僕はこっちになる自信満々!

大学に入ってから自分の将来をずっと考えていたんですけど、就活が始まる前にはこう考えるようになっていました。

自分じゃない誰かでも変わりがつとまるような仕事じゃなく、自分にしかできない仕事をしたい!

一見かっこよさげに見えますが組織という歯車に絶対に組み込まれたくない!というかただ大人になる、社会人になる覚悟ができていない子供ってだけですね。

まあそれでもそうなるくらいなら無理を通して道理を蹴っ飛ばそうとがんばるしかないということで真剣に自分の人生を考えていくようになりました。

☆トレーナーを目指した専門学校入学当初☆

自分にしかできないことをやろうと思ったわけですが、そのときちょうど日韓ワールドカップで日本は熱狂に包まれていました。

その熱にうかされたのか

お!トレーナーいいな!プレイヤーにはもうなれないけど選手を支える仕事カコイイ!

と思ったんです。

トレーナー業務なめすぎてましたね。このときは。

とはいえその時、自分の道を見つけたという高揚感でドラクエで言うガンガン行こうぜ状態の僕。

どうしたらトレーナーになれるかをJリーグのチームに聞きました。

答えをくれたのは鹿島アントラーズ!

わざわざ手紙で…。

この手紙が僕の人生を決めたと言っても過言ではありません。

まあ手紙はどっかにポイしちゃってますけど。

心のなかにきちんとしまってあるから大丈夫!

そこには所属トレーナーの持っている資格が詳しく書かれていました。

鍼灸師、柔道整復師、理学療法士、日米のトレーナー資格。

すべてを取るというのはお金的にも非常にきついのでどれかひとつ選んで学校に行こうと考えました。

考え抜いた結果、鍼灸師になることを決意!

なんで鍼灸師かというと…

なんかかっこいいから。

鍼で人の体を元気にするって凄くかっこよくないですか?

とまあそんな感じで鍼灸師の道を歩み始めました。

専門学校では学校の勉強以外にもトレーナーの勉強会や実際のトレーナー業務を経験したりしました。

1年目の最後のビッグイベントは

高校サッカー選手権の某高校のアシスタントトレーナー!

結果から言えば優勝したので最後の最後まで関われたんです。

このアシスタント経験は非常によかった。

とにかくトレーナーの実際の現場を体験できましたからね。

そして思ったんです。

トレーナー、俺向いてないわ、と

☓思い描いていた理想と現実。そして主を目指す◎

トレーナーって今でもかっこいい仕事だと思っています。

けどその実際をどれくらいの人が知っているんでしょうか。

将来トレーナーになりたいなぁ、と思っている中高生でも実際の現場をみたら、

いやぁ…ちょっと頭が頭痛で痛くて、今日行けないッス…。

と言っちゃう子もそこそこいるんじゃないかと。

とにかくトレーナー業務は大変。

準備準備準備!ケア!片付け片付け片付け!勉強勉強!

そんな感じ。

選手と関わる時間とかよりもその準備とかがとにかく多い。

早朝から終電近くまでという長い拘束時間。

そしてその割に給料も正直高くはない。

まあアシスタントなんでごくごく当たり前なんですがこの下積みを続けられるかというところがポイントだったんです。

そういう現実を知り、それでもなおトレーナーを目指すかと僕の中にいるミニとしひろに聞いてみたんです。

「どう?やれそう?目指せる?」

「いやぁ、無理ッス…。」

と答えがきました。

今、2020年のトレーナーの現場や給料は僕はわかりません。

給料はともかく現場の大変さは変わってはいないと思います。

ここでいうトレーナーはチームに所属するものをいいますが、チームに所属するということは選手だけじゃなくたくさんの会社の関係者、上司や同僚も含め本当に多くの人達と接するということです。

やりがいのある仕事ですが選手とだけ関わりたいという中途半端な覚悟とやる気で目指すのは選手にも会社にも失礼になるし、それでもチームに所属したい!という強い気持ちとやる気がないと難しいのかなと今でも思っています。

話が少しそれました。

で、トレーナー業務は正直自分には厳しいと感じたんですが、それでもトレーナーの顧客の健康やパフォーマンスを引き上げる仕事は魅力的。

じゃあどうするか。

ここで自分の本当にしたいことに気づいたんです。

結局鍼灸師になるんだから施術、鍼灸治療がしたい!それで稼ぎたい!

それならば自分の鍼灸院を作ってそこに選手が来てくれるようになれば理想的!と。

自分の目標を見つけることができたのはよかったんですがその道はとても大変ということをこの時の僕はまだ知りませんでした。

考えがアマアマだったのは言うまでもありませんね。

☆資格ゲット!あちこちで働いてみた。表参道編☆

専門学生時代はマッサージ屋でバイト→閉店→整形外科で2年バイト、という感じでした。

整形外科では牽引機のセッティングしたり電気くっつけたり軽くマッサージしたり。

患者さんとのトークスキル(施術スキルではない)を上げていきました。

無事3年間の専門学校を卒業&はり師きゅう師の資格をゲットし、開業へ向けての第一歩をどこの治療院で歩みだすかとあれこれ話を聞きに行ったり調べたりして、国家資格者として初めての職場は青山・表参道にある治療院!

そこは場所柄、というか院長がちょっと特殊?だったのか、来る患者さんが芸能人・社長・会長が多いという鍼灸院。

そこでの仕事は受付とたまに来る飛び込み客のマッサージ。

あれ?鍼はできないの?

最初はそう思いました。

けど今となってはわかります。

学校だけの知識と技術ではまったく役にたたないということ!

ツボを正確に捉えることができるかというのが鍼灸師として一番のポイントです。

これができずに鍼が打てるはずもありません。

それに解剖学も生理学も試験用に頭に詰め込んでいるもんだから、頭と身体に染み込んでないんですよね。

なので仕事は受付&勉強。

来る日も来る日も受付&勉強。

春から仕事し始めて、夏、秋と必死に受付&勉強。

9ヶ月もたったころに思いました。

あれ?俺は受付やるために鍼灸師の資格とったんだっけ?

鍼灸のレベルを上げるにはやはり毎日患者さんと接することが大事。

勉強だけしていてもレベルは上がりません。

鍼を少しでもうちたい、なにかしら教えてほしい、マッサージも一日一人やれるかどうかで圧倒的に経験がつめない。けど院長は忙しく終わったら帰っていく。このままでいいんだろうか。

もやもやとした気持ちを抱きつつ毎日を過ごしていました。

院長と二人っきりの院であれこれあってストレスで毎日血便がでるようになってきて、これはさすがに俺の身体やばいんじゃね?そう思い始めていた時、院長がこう言い放ちました。

ねぇねぇ、俺さ、魂の位置わかるようになったんだよ。

この言葉で決意したんです。

院長!としひろ、ここやめるってよ!

☆働いてみた。圧倒的経験ッ!1日300人くる整骨院編☆

魂の位置がわかったり、石の相性診断したり、終いには

健康カフェやりたいんだよね、ここで健康茶とか出してさ、良くない?

良いわけあるか!

このままじゃ僕はカフェ店員になってしまう!と思い、数日後に辞表提出。

それから辞めるまでの2ヶ月、ストレスしかない職場。

例えるなら離婚が決定的なのに様々な事情で一緒に住み続けなくてはならないという感じでしょうか。

ようやく最終日。

院長の口からまさかの言葉が出ました。

ねぇ、明日からなんだけどさ、何曜日くる?

この人なにいってんの?

最後に仰天発言きましたけど無事に辞めることができました。

さて、辞めて旅行行ったりしてリフレッシュはしたもののいつまでも休んではいられません。

お金ないし。

表参道は場所としてはオシャンティでいいような気もしてたんですが

とにかく遠い!

行きも帰りも満員電車つらい!!

というわけで近場で探すことにしました。

次の職場は、橋本にある鍼灸整骨院。

表参道のところとはいろいろ真逆でした。

  • スタッフ総数20人弱
  • 一日の平均来院数、200人以上(当時)
  • 週休2日(前のとこは週休1日)
  • 体調悪くなって行けないといったら、休みな!大丈夫だから!と言われる

とにかく患者さんをこれでもかとマッサージ&鍼ができる職場でした。

鍼灸師と柔道整復師が一クラス分ほどいるので臨床経験やアドバイスももらい放題。とにかく毎日が充実しすぎるほどに充実していました。

指名制もあって(給料にはあまり関係ない)毎日どうしたら指名がとれるのか、どうしたら喜んでもらえるのかを考えました。

その結果、2年も経つ頃には院の中でもトップクラスの指名をもらえるほどになっていました。

その頃はスタッフも素晴らしい人たちが多かったので一日最大300人以上の患者さんが来ることも多かったんですが、保険施術がほどんどで自費治療で60分なんかはほとんどできませんでした。

しかし指名も増え、腕も自信もついてきていたので今度は自費でどこまでできるか自分の腕を試してみたくなってきました。

☆結婚する?それとも開業する?☆

さてここで今後どうするかをまたもや僕の中にいるミニとしひろに聞いたんです。

「これからどうする?自費専門の鍼灸院いく?」

「いやいや、もう開業しようや。開業!あと結婚も!」

結婚と開業どちらかを先にすればどちらかはかなり遅くなることは明白でした。

結婚を先にして開業は100%の腕と自信を持って、お金が貯まってからするパターンは石橋を叩きすぎて橋壊れちゃうようなもので目標とする開業は50歳を超えてしまいかねない。

では開業しちゃって結婚を後回しにするというパターン。

結婚したい!って言われたことなかったんですが軌道にのったら結婚なんて言ってたら年齢的に子供を授かることが難しくなってしまうかもしれない。

そもそも軌道に乗れるのかって話なわけです。

どちらかを先にしてどちらかを後にするとあまりいい事にはならなさそうでした。

ではどうするか?

ここでひらめいちゃったんです。

そうだ、2つ同時にやっちゃえばいいんだ!(超無謀というかバカ)

このときリーマンショックで経済はガタガタ。

日本経済の見通しはあまり明るくはなかったんです。

まあ今のコロナほどではなかったですが。

当時の院長に開業したい旨を伝えると

「俺なら今は開業したり店舗増やさないなぁ。」

と言っていました。

しかぁーし!どこにいっても結局自分は自分!

ただひたすらに一生懸命、誠意を持って施術するのみ。

有名なシェフも結婚当初は六畳一間で大変だったけどがんばって成功したってなにかで見たし・・・

僕も成功できるはず!(謎の自信)

そう考えたが最後。

開業&結婚に一直線となったのでした。経営も知らないのに…。

▲無謀すぎる開業。地獄の3年間▲

2009年末に結婚。そして翌年の4月に開業と人生の大きなポイントとなった時期でした。

今ではクチコミ総数250件以上で予約が朝から晩まで埋まる日も少なくない当院ですが最初の3年はスーパー貧乏でした。ほんとに。

なんせ貯金はリアルに0近くまで行きましたし、妻にパート言ってもらわないと生活ができないレベル。

経営に関してはまったく勉強しておらず、

まあ1年もやればそこそこ稼げるようになるだろう、へへへ。

と、経営なめすぎ状態でしたし集客についても経営についても勉強していないものだからそこそこ毎日人が来てくれるなんて状況にはなり得なかったんです。

バスの中吊り広告をやってみたり(年間40万以上)、地元紙に数回載せてみたり(約10万)、あの手この手を使うもすべて撃沈。

4日連続で電話が全く鳴らなかったときもありました。

このときはゲロ吐きそうになりましたね、さすがに。

しかしそんなこんなで3年間。

なんとか維持することはできたんですが恐怖のテナント更新時期となりました。

更新料たかっ!

ぎりぎりで更新料を払うも妻からは

「いつまでこの仕事する?」

と言われる始末。

そりゃそう言われますよね。

もうすぐ子供生まれるってときに旦那の稼ぎが月に30万もいかないんだから。

会社員と違うのでここからテナントの家賃、住んでるアパートの家賃などが引かれていきます。

そうすると残るのは0。

むしろマイナス!

これでは店が生活を邪魔しているような状態です。

しかし少しずつ変化していきている自分の鍼灸院でした。

そう簡単にやめたくはありません。

そこで妻にひとつ約束をしたんです。

3年後、次のテナント更新のときに同じ状況だったら店はたたむと。

鍼灸師の仕事で、自分の店を維持して自分で稼ぐためにもさらに必死にならなくてはなりませんでした。

やるしかねぇ…。

そう気合をいれて毎日もっともっと勉強と施術に必死に生活し始めた時、それまでが嘘かのようにぐんっっと患者さんの数が増えたのです。

生まれてきた子供が幸運をもたらしてくれたのか。

それまでの僕の頑張りが花開いたのか。

どちらもあるとは思うのですが一番の要因はこの時になってようやく「経営」をしっかり理解してきたから軌道にのったんだと思います。

☆なだらかな右肩上がりの成長。しかしこのままでは…☆

4年目以降はなんとか生活できるレベルから普通にたまに外食できるくらいまでの成長を年単位でじわじわとしていきました。

とりあえずは食べていけるという安心感はこの上ない至福。

しかし何かがきっかけで経営が傾いてしまったら開業当初に逆戻りしてしまうギリギリの崖っぷちにいることもまた確かなことでした。

8年目あたりから少しずつその危機感と恐怖感は大きくなっていきました。

大震災のときから心のどこかで持っている危機感、ある日突然世界は変わってしまうということ。

ずっと今が続くわけじゃない。

僕を含めた家族が病気になったり、引っ越ししなくてはならなかったり、通ってくれている患者さんがもう来たくないと言ったり別の治療院に行ってしまいうちに来なくなるような日が来るかもしれない。

そう考えると現状維持は恐怖でしかなかったのです。

この恐怖にどう打ち勝つか。

「それ」を思いついたのはまさにひらめきでした。「それ」とはつまり、

移転!鍼灸院を大きくしちゃおう!!

前々から移転は考えていました。

しかし駅前はべらぼうに高く、しかも駐車場はないので条件としては最悪の部類。

かといって駅から離れても理想的なテナントはみつからない。

どうしたもんかと思っていたときにふとひらめいたんです。

商業施設に入るのはどうだろうか?と。

商業施設は駐車場完備で満車になるのが難しいくらい多く停められます。

さらに「店」として作るので入りやすさ、安心感も増すので集客に対しても文句なし。

そこで候補となったのがクロスガーデン多摩。

聞いてみたら駅前の駐車場が使えないテナントよりも格段に安い!

まさに天啓!

時は来た!…それだけだ。

◎移転決意!1000万の人生かけた大勝負(全部借金)◎

自分の考える条件をすべてクリアする移転先が見つかり即座に移転を決意したんですが自己資本がないので全て融資(借金)に頼らざるを得ませんでした。

公庫の面談の担当者には

「半年で破産しますよ?」

とまで言われたわけですが、希望のテナントなんて次いつでてくるかわからないのにそんなんで躊躇するもんかい!ってな感じで約1000万の借金で移転をすることに。

自分だけじゃない、家族をも巻き込む大勝負です。

10年やってきた実績も馬鹿にされ(と勝手に思っている)

公庫の担当者を見返してやる!という反骨心がやる気の炎に油を注いだわけです。

ここでやらなきゃ男がすたる!

開業してまるまる10年経ちましたが今が一番行動しています(笑)

1000万の借金はさすがに吐き気をもよおすくらいのプレッシャーがありました。

けど経営面を考えて考えて考え尽くしていくと、

あれ?なんとかなるんじゃ?なんとかなるなるー!

とお気楽モードに。

融資が正式にされて、内装工事が開始されていくと、またプレッシャーに襲われます。

しかしこれの対策はすでに学習済み!

どうやってプレッシャーをはねのけるか。

それはサッカー選手の本田がよく言っている言葉に答えがあります。

最高の準備をしよう。

そう準備です。

10年前、ポジティブではなくただの無策無謀で開業しました。

10年経って同じことをしたらただの馬鹿ですアホですトンマです。

培ってきた経験と知識には自信があります。

それを最大限に活かすため最高の準備を進めていきました。

うまくいくかはわかりませんが最高の準備さえすれば見えてくる景色も違うと考えていました。

しかし人生、なにが起こるか本当にわかりませんでしたね。

このタイミングでコロナによる緊急事態宣言がでてしまったわけです。

☆それでも僕は前に進む。そしてこれからも☆

緊急事態宣言によりクロスガーデン多摩は休館。

考えていた準備、広告も一部というかほとんど中止せざるを得ませんでした。

求人を出すも誰一人応募もなく先行きはやや暗い感じになりかけていました。

しかし行動していると自ずとチャンスを掴むようです。

地元紙の掲載、地元密着サイトの取材、内装施工会社によるプロカメラマンの撮影、ツイッターで他業種の方と知り合い、そして仕事の依頼など。

融資前は思っていなかったアイディアがどんどんでてきて、それが実現していったのです。

先日5月7日に再オープンをしましたが、最高の準備のおかげで最高のスタートダッシュをすることができました。

今はまだ10年の積み重ねが活きているだけで、やってきた最高の準備の成果がでるのはまだもう少し時間がかかるでしょう。

今回の移転は僕の人生における最大の転機だと思ってます。

そしてわかったことがあります。

努力、行動、継続は結果を出すために絶対的なものである。

人はどうしても結果を求めるので焦りがちです。

健康、ダイエット、学力、評価。

どれをとってもうまくできた人は必ず努力し、行動し、継続しています。

開業して10年も経って、40歳にもう少しでなるくらいになってようやく理解できました。

どんな状況でも失敗するわけにはいかない、けれども成功と言えるようになるには焦る必要もないしたゆまぬ努力とたゆまぬ継続が必要です。

このブログは最初に書いたとおり読んでくださる皆様が元気にポジティブになれるようなブログにしたいと考えています。

そしてご自身の夢、目標に向かって行動し始めることができたのなら、背中を押すことができたのなら最高に嬉しいです。

ついでに僕の努力、行動、継続が今後どんな結果をもたらすのか、是非見守っていただけたらと思います。

やたら長い自己紹介でしたが最後まで読んでいただいてありがとうございました!

これからも是非「としひろ院長のポジティブログ」をよろしくお願いいたします。

はり灸治療院クオーレHP

カウンセリング重視。自律神経失調症、首肩こり特化のはり灸治療院クオーレ
自律神経失調症、首肩こりに特化した鍼灸院です。首肩の痛み、頭痛、めまい、耳鳴りなど、さまざまな身体の不調でお悩みなら当院へ。

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